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Section 0-2 議論をしよう!

 議論、というとなんだか堅苦しいものを想像されてしまいそうだが、なんらかの一つのトピックについて、参加者の知識と情報と見解をぶつけて、より高次な概念を生み出す作業、それが議論だと思う。う、堅っ苦しい言い方になった。他愛ないことでも世間話でも、それこそトピックはなんでも構わない。じゃあただのお喋りと違わないだろう、と突っ込まれそうだが、まったくその通りだと思う。人は、日々の暮らしのなかで議論、あるいはそれに近いものを日常的に行っている。会社の食堂で、学校の教室で、居酒屋の座敷で、電車の吊革に捉まって、普段のお喋りの中にこそ、議論の下地は既に出来あがっている。

 しかし、同時にお喋りと議論の違いももちろんあって、それは、論理性と立場の違いとが明示されているかどうか、だ。論理性とは、きちんと筋の通った主張が出来ているかどうか。立場の違いとは、自分の立脚している見解に他の人との差異があるか。

 お喋りの場合だと、そのあたりは全然曖昧で済んでしまう。悪く言えばナアナアであり、相手の話がなんであろうとも、楽しく会話をすることが目的なのだから、もちろんそれで全然構わないわけだし、私もそういうお喋りは大好きだ。しかし、議論と呼ばれるものになると、やはり「言葉の闘い」が無いと高みは目指せないのではないか。炭素の結晶が研磨されてダイヤモンドを産み出すように、ガチンコにぶつかり合うことで、やはり概念というものもより高次になっていくのだから。その為に、立場の違い、見解の相違というのは無くてはならないし、お互いの持っている情報を曝け出し合うのも重要だ。

★☆★議論の前提☆★☆

 じゃあ、「楽しい議論」というのをする為にはどうすればいいか、というと、お互いに幾つかの約束事を守ることである。

   1.言葉の定義をする
 至極当たり前のことであるが、案外ここの処が抜け落ちていることで、すなわち言葉に対する見解の相違で、議論が噛み合わないというのはよく聞く話だ。かといって、話し始めるときにいちいち言葉を定義していく必要など無い。そんなことをしていたら、議論が始まる前に人生が終わってしまう。私だってこの場で「言葉」という単語について定義するつもりなんて無い。たった一つの単語についてワザワザ定義するだけで、非常な枚数をテキストを必要とする。
 そうではなく、自分がその議論の遡上(そじょう)にあげた、特に重要なキーワードであったり観念的な言葉に対して、きちんと他人に説明付け出来るだけの定義を持って欲しい。いいかえれば自分で使う言葉の意味くらいは知っておいてくれ、ということだ。
 もちろん、話している最中にいままで持てなかった定義付けがやっと出来たり、その定義が変質していくことも多いだろう。そしてそれこそが、議論をしたときの醍醐味である。

<参考URL: http://popup.tok2.com/home/Angriff/kibidango/n01-01.html

   2.議論の為の議論はしない
 ここでいう「議論の為の議論」とは、「議論すること自体が目的になっている」ことを指している。これは、頭でっかちな人間に比較的多いが、議論をしている自分に酔っ払っている人である。
 例えば私と友人が池袋の居酒屋の隅で中東問題を真剣に話し合ったとする。しかし、そんなところで話されたことは、実際の中東問題にはまったく反映されることは無い。しかし、私と友人は、中東問題に対する情報と意識について向上を得ることができる。この議論の目的は「互いの情報と見解を交換し、より深い理解を得る」ことだ。
 議論をすることではなく、それがもたらしてくれる知的向上や知的好奇心の満足を求めて議論をする、そういうスタンスを持つことが、意義ある議論につながるのではないだろうか。

   3.物事の本質を問う
 ありていにいうなら、揚げ足取りはやめなよ、ってこと。まあ、特に文章でのやり取りだったりすると、言葉が視覚に確実に訴えかけるし、誤字脱字スペルミスははっきりと分かるし、本気で間違えているのかワザと間違えているのか分かりづらいから、そういうところを突っ込みたくなる気持ちもわかる。というか、私もよくやる。でもそれは、あくまで議論のトピックスをみるならまったく無関係なものである。そこを指摘するのはともかく、それをもって得意げに優越に浸るのは、まったくのお門違いだ。
 また、「お前に言われたくはねえよ」という台詞も、本質を問うという点から考えると珍妙だ。この台詞は、それを言った本人が出来ていないくせに、ああだこうだ言った場合に口にされる。しかし誰が言っていようとも、本質を指摘していればそれは有用な議論の要素なのである。

   4.人に伝わる言葉で語る
 これは、言葉の定義にもつながることなのだが、あまりにも一般概念とかけ離れた自分だけの言葉の定義を持ったり、あるいは文脈のつながりが見えない文章を書いたり、しっちゃかめっちゃかな文法を使ったり。これらは、日本語(言語)の基本的な知識があれば、ある程度は達成できることで、それを勉強する為の努力は惜しむべきではないと思う。というか、義務教育の段階で身につけられるものだ。そして欲を言うなら、人の心に訴えかけられる言葉を使えるようになりたいものだ。

 とまあ、「分かりにくい文章書きやがって。お前に言われたくはねえよ!」というツッコミを受けそうだが、少なくとも、私がこのようなスタンスであるところはご理解いただけたと思う。これが、私なりの「議論」の「定義」である。

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