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コトノハPublicログ2001年2月

2001/2/7 2001年に見る『2001年宇宙の旅』 へ
2001/2/8 イスラエルにタカ派政権誕生 ところでシャロンっていう名前いいよね へ
2001/2/10 報道管制始まる♪ へ
2001/2/13 現場の声 「危険な勇気」は、やめて へ
2001/2/15 ハワイ沖潜水艦衝突事故(事件)その1 言い訳下手な漏り総理の凋落
2001/2/18 ハワイ沖潜水艦衝突事故(事件)その2 日米関係の凋落。か?
2001/2/20 アマチュア知事は理想家。それでOK!
2001/2/23 マックワールドエキスポ2001東京レポ
2001/2/23 ≪参考資料≫ 朝日×産経 社説対決 教科書編
2001/2/26 自由主義史観 その1

2001年2月7日 2001年に見る『2001年宇宙の旅』

 実は始めて見たんです、『2001年宇宙の旅』。あ、映画版のほうの話です。まだ原作は読んでいません。ワリと物語を作る人間としては問題かもな。

 で、ワシには結局「モノリス」のメタファーがわからなかったんですけど・・・・・・。いろいろなところでいろいろな解説がされているけど、なんか、どれもしっくりこない。よろしかったら、誰か教えてくれませんか?

 この映画の最初のCHAPTERは「THE DAWN OF MAN」すなわち「人類の夜明け」だが、この映画を見て感じたのは、もしかした人類は、『今』まだ夜明けなのかもしれないな、ということ。遠い未来の人類から見れば、ワシらはようやく宇宙に進出しかけた原始人類かもしれない。ワシらから見ると、道具を使い始めた、火を使い始めた原初の人類を「人類の夜明け」と見るように。

 21世紀の始まったこの年、アーサー・C・クラークの、そしてスタンレー・キューブリックの描いた『世界』まで、人類は届かなかった。まあ、別にこの物語は人類の夢の『数値目標』ではないけれども、やはり鉄腕アトムと同じで、人類の夢の、ひとつの形なのは確かだろう。

 人類は空に、星空に、宇宙に憧れつづけてきた。数多の物語にも、科学技術としても。ワシ自身も、小学校四年生の時の文集には、将来の夢が恥ずかしげも無く『天文学者』と書いてるし(笑)。そして今は、SF大好きで宇宙を舞台にした物語(スペースオペラと言われるんだろうか:笑)を作りたいし。『2001年宇宙の旅』は、多くの物語の土壌となった。多くの科学技術の土壌となった。こないだも書いたけど、夢と物語と科学は、全て互いに補完しあい、人類をより高みに持っていくんだろうね。

 でまあ、ここんとこ何かと2001年宇宙の旅ネタが多かったのは、これを見たせいでもあるんだけど。。。

 ごめ。なんか筆がのらねえや、ここ最近。事件も多くて書きたいことは多いんだけど、書く時間と余裕が無いや。でも書くよ〜。

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2001年2月8日 イスラエルにタカ派政権誕生 ところでシャロンっていう名前いいよね

イスラエル新首相に右派シャロン氏・和平停滞の懸念

   【エルサレム7日=小林明】中東和平の動向を左右するイスラエルの首相公選は6日、即日開票の結果、最大野党、右派リクードのシャロン党首(72)が和平推進派で与党労働党のバラク首相(58)を大差で破って当選した。シャロン氏は労働党に大連立政権の樹立を呼び掛けるとともに、和平交渉継続に向けてパレスチナ側に昨年9月から続く衝突の収束を呼び掛ける意向を明らかにした。仲介を進めてきた米政府も月末にもパウエル国務長官を中東に派遣、交渉再開の糸口を探る。ただ衝突のきっかけをつくったとされる強硬派のシャロン氏へのパレスチナ側の警戒感は根強く、中東和平交渉は停滞するとの見方が広がっている。

 シャロン氏はテルアビブ市内で「私に信任を与えてくれたすべての市民に感謝したい。任務を遂行するため全力を尽くしたい」と勝利宣言。和平交渉については「パレスチナ側に暴力を放棄し、交渉の場に戻るよう呼び掛ける」と強調する一方、最大の焦点であるエルサレムについて「永遠にして不可分の首都」と強調し、主権はパレスチナ側に譲らない方針を明言した。

 クリントン前米政権の仲介でエルサレムの事実上の分割まで踏み込んで検討されてきた協議は、シャロン政権誕生で白紙に戻る可能性もある。

 1999年5月の前回公選で当選したバラク氏は中東和平合意を達成できなかったことに加え、パレスチナ住民との衝突を収拾できずむしろ和平機運を後退させ、1年半で退陣を余儀なくされた。シャロン氏は治安維持に重点を置きながら、和平路線を進めるというソフトイメージも打ち出し、本来のバラク支持票も取り込んで勝利に結びつけた。

 選管が発表した開票率99.9%時点での得票率はシャロン氏が62.5%、バラク氏が37.4%と大差がついた。

 シャロン氏は45日以内に組閣し、新政権を発足させる。同氏はバラク氏と電話で会談し大連立内閣への協力を要請したが、労働党がこれを受諾するかは不透明だ。

 今回の選挙は国民の人気が高いネタニヤフ前首相やペレス元首相が出馬を見送ったほか、アラブ系住民らが投票しなかったことから、投票率は約62%で前回の78.7%を大幅に割り込み、過去最低となった。

NIKKEI-newsより全文>

 中東のゴタゴタがワシらの生活に及ぼす影響。@原油価格の高騰で、ガソリン、灯油はもちろん、原油製品の物価があがる。A複雑な政治環境の為、日本は政府も民間も中東に対して取るべき態度がわからず決めかねてるうちに、またまたずるずるとアメリカのいいなり外交をしてしまい、国辱を味わう(湾岸戦争での屈辱を忘れてはならない)。B中東戦争が起こった場合、規模としては地域紛争のレベルを超えるのは想像に難くないので、国際的な政情不安による世界経済の減速(これ以上日本経済が悪化したら・・・・・・コワイコワイ)。ね、中東和平は決して対岸の火事なんかではないんです。

 でまあ、シャロン新首相である。昨日今日の新聞各紙の社説などはこぞって「タカ派首相誕生。中東和平に陰り」という論調だ。彼のことは、昨年9月のイスラム聖地「ハラム・シャリーフ(神殿の丘)」訪問に始まる、パレスチナ紛争の再発からその動向を見てきたが、もしかして今日の状況は、彼のシナリオの結果ではないだろうか、という気すらする。それだけ見事に、彼は中東の政情を手の平に乗せていた。政権への国民の不満を煽り、現政権(バラク政権)へのパレスチナ勢力の不信感を増幅させた。その上で、「現状をかえられるのは自分だ」といい政権を奪取した。典型的な扇動者の手法だが、効果的だ。

 彼の出現は和平プロセスの後退をもたらすだろうか。当面の答えはイエスであろう。彼はパレスチナ人に警戒されすぎている。では、彼の出現は第五次中東戦争をもたらすだろうか。答えはノーであろう。

 タカ派、軍人首相などと言われる彼だが、それはすなわち『戦争のプロ』であるということである。戦争のプロは、戦争の困難さを知っているから、そもそも戦争を起こそうとは考えない。現に、早速彼は与党第一党の労働党との連立を摸索している。武力による解決は、彼の望むところではあるまい。タカ派勢力と言われる右派リクードは、同時に国内タカ派を押さえられる存在であり、過去中東和平のキッカケを作りつづけてきた勢力でもある。シャロン首相の当選により、パレスチナ暫定統治機構のアラファト議長が、昨年末の妥協案を蹴飛ばしたような愚かな政治選択をしなければ、むしろ中東和平はオスロ合意に向けて推進されていく可能性すら高いのではないだろうか。

 エルサレムは、ユダヤ教には最大の聖地、イスラム教には第三の聖地、キリスト教には聖地の一つとして存在しているらしい。さて、各教においてエルサレムを聖地たらしめた、エイブラハムとムハンマドとイエス・キリストは、どんな気持ちで今の人間を見ているのだろうか。案外、天界で三人肩を並べて酒でも酌み交わしながら、苦笑しあっているのではないのだろうか。

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2001年2月10日 報道管制始まる♪

政治報道けん制狙う? 自民が「放送活性化検討委」

 自民党は7日、幹事長の下に「放送活性化検討委員会」(熊代昭彦委員長)を設けた。テレビ番組の政治報道を主な対象に、放送の公平中立性をどう保つか、放送業界の規制改革をどう進めるかといった点を議論する。KSD事件で自民党議員の疑惑が次々と報道され、夏の参院選に及ぼす影響を懸念する声が強い。委員会にはテレビ報道をけん制する狙いがあるようだ。
 会合では、出席者から「公平中立をうたう放送法に違反しているとみた場合は、放送局を積極的に(民事訴訟などの形で)提訴すべきだ」「まず抗議して、その社の反応をインターネットを通じて公表する」「再販制度はもう要らない」という意見が出た。(20:21)

Asahi.comより全文>

 えっと……ごめんなさい、また汚い言葉と言われるのを承知で言わせてください。

自民党って馬鹿なんですか?

 テレビ報道を始めとして、マスゴミは公平中立なんかでは無い。確かにその辺をきちんとわかりもせず「マスゴミは客観的事実を報道している」と思い込み、流される馬鹿な国民も悪いんだけどさぁ。国民も「自分の頭で考える」ことが必要なのは確かだけどさぁ。

「公平中立をうたう放送法に違反しているとみた場合は、放送局を積極的に(民事訴訟などの形で)提訴すべきだ」

 憲法違反です。

「まず抗議して、その社の反応をインターネットを通じて公表する」

 まず自分たちことをインターネットを通じて公表してください。(国政&国難&KSD問題&機密費問題、etc)

「再販制度はもう要らない」

 はい、この人電波ですね。検討ハズレなことを言っています。(それとも書いた記者が電波なのかな)

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、きちんとコメントを述べる気にならないよ。だって、上記の一言づつで終わってしまうんだもの。政府の抱えた数多の問題を解決しようともしないで、自分たちに都合の悪い情報はシャットアウトですか。でもまあ、こういう馬鹿な委員会ができるということは、自分たちがいかに不人気かの自覚はあるようですね。でも、こういう馬鹿な委員会ができることで、その不人気を助長させるということには思いが至らなかったようですね。まがりなりにも民主主義を謳う国の政権与党のしようとすることじゃないですね。「この国は、すっかりダメになってしまいました」(ビートたけし@バトルロワイヤル#映画版)

 この委員会、これからの動きに要注目だ。

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2001年2月13日 現場の声 「危険な勇気」は、やめて

「危険な勇気」は、やめて
 「危険な勇気」はやめて−。東京のJR新大久保駅で先月二十六日、転落男性を救おうと線路に飛び降りた二人が電車にはねられ亡くなった事故が感動を集める中、鉄道会社は困惑を隠せない。東海地方の各鉄道も「勇気」には敬意を表しながら「線路に降りることはやめて」。第二、第三の巻き添え惨事を招きかねない危険な行為だからだ。転落を目撃したら「まずは早く列車に知らせる手立てを」と呼び掛けている。

「ホーム救助」で鉄道各社「線路飛び降りより、まず列車に知らせて」
 「線路は危険。勇気だけでは救えないケースがあるのだから」。鉄道関係者の一人はその後も続く「救出劇」の報道を冷や冷やしながら見守っている。

 危険を訴えるのは大きく二つ。一つはホームは線路から平均で一・二メートルと、予想以上に高い。飛び降りるだけでもけがをする可能性があり、はい上がるのも大変だ。二つ目は、列車は急には止まれないこと。時速百二十キロの列車は急ブレーキをかけても止まるまでに約五百メートルも進んでしまう。
 新大久保駅の事故も「タイミング的に救出は無理だった」と見られているように「運転士がいくら急ブレーキをかけても間に合わない場合はある」(JR東海)という。
 「だから線路に降りることは避けてほしい。勇気ある行動はありがたいが『(新大久保駅のように)してください』とは絶対に言えない」(名古屋市営地下鉄)とくぎを刺す。

 転落事故を目撃した場合、各社が望むのが「列車に早く知らせること」だ。
 「駅員に連絡するか、ホームを列車の来る方向に走って手や着ていた服を脱いで振ってもらうのも有効な手段」(近鉄)という。
 参考になりそうなのが名古屋市内で相次いだ「救出劇」と言えそう。
 中央線鶴舞駅で一日、少年を救ったケースは、客がホーム上から雨上がりで手にしていた傘を広げて運転士に伝えようとした。東海道線尾頭橋駅の四日の転落事故では、乗客がちょうど上り線に止まっていた列車の乗務員に連絡した。このため、連絡を受けた運転指令所が、同駅に向かっていた列車に伝えられた。

中日新聞 2001/02/10より>

 ごめん。まだ新大久保駅の事故のこと引きずっている。正確には、新大久保駅の事故に対する(大手)マスゴミの報道のことを引きずっている。

 本当に誤解のないように言っておくが、ワシはあの事故で亡くなられた三人の方々には冥福をお祈りしたいし(それすら偽善かもしれんけど)、救出にあたられて事故に巻き込まれたそのうちのお二人の気概には敬服している。ただ、(大手)マスゴミの報道の仕方に大きな疑問を感じているのだ。もっとも、この事故をマスゴミ批判へのテキストとして使用している時点で、ワシも彼らの犠牲を弄んでいるのかもしれないが。

 まあ、今日紹介している記事は、どちらかというと知識として有効かな、と思ったので載せてみました。線路内に人が立ち入ったのを見たときは、とにかく電車に知らせる手段を取る、ってことですな。その手段として、上に書いてあるものの他、非常列車停止装置(駅にの柱にある)を押す、とかね。

今回の事故は、ワシら一人一人が万一の時にどう動くべきか、ということを考えさせられ、その知識を広く考える機会となったのは、とても意義があったことだと思う。それこそが、尊い犠牲となった今回の被害者と、多くの鉄道事故で亡くなった方々への追悼となるのではないだろうか。

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2001年2月15日 ハワイ沖潜水艦衝突事故(事件)その1 言い訳下手な漏り総理の凋落

 今回の件の漏り総理については、概ねマスゴミ各社、というか世論に同じなので、ちょこっと思ったことをばワシなりに・・・・・・。

 漏り総理の可哀想なところは、世論をつかむことを知らないことだ。もちろん、彼の言動、行動に原因が帰するところも大きいわけだが、例えば正しいことを言っても、それが世論とかけ離れているが故に悲劇、てか、喜劇が起こる。今回のハワイ沖潜水艦事故の話しだ。

「どうしてこれが危機管理になるのか。あなた方が危機管理と思い込んでいるから。危機管理ではなく事故でしょう」(森総理。記者団に反論して)

 その通り。これは危機管理の問題ではなく事故である。と同時に外交問題になるのが間違い無いことはわかっていただろうから、「『外務省が中心となって対応してほしい』『官邸としても危機管理がどうあるべきか検討してほしい』と指示した」(同)というのが事実なら、指示も的確だ。欲をいうなら、首相にしか出来ない手段として、その場でアメリカ大統領に電話して「特に頼む」と言っておけばよりよかっただろうけど。ともあれ、首相が「リーダーシップはきちんと発揮した」といいたくなるのもうなずける。

 でもやっぱり問題なんだな。総理大臣としては。

 総理大臣にもプライベートは必要だろう。あれだけの激務だ。息抜き無くしてやっちゃいらんめぇ。ただ、同時に総理大臣という職責は、プライベートですら公人として見られる。故に、プライベートだから、という説明は納得してもらえるわけが無い。要はそういう、総理大臣としてというか公人としてというか、そういう心構えがまったく漏り総理には無い。

 そういう意味で、記者団への反論も、党首討論会での弁明も、たとえ筋がとおっていても人々を納得させ得るものではなかった。結局、漏り総理は自分の発言と行動とが、まったく自分の総理大臣という立場にそぐわない、このことが最大の問題なんじゃろ。

 言い方は悪いかもしんないけど、支持率の低下している今だからこそ、ポーズだけでも今回のような時に真っ先に首相官邸に戻って対応すればいいのに。あるいは事後の説明にしても「あそこでプレーを続けたことは自分の判断として間違っていた。反省し、今後行方不明の方々、被害に遭われた方々のために日本国として最大限の努力をする」と言えば良かったのに。そうすればこんな大事にはならなかったんじゃないかな。自分の行動、発言の持つ重みを全く理解していない、これこそが漏り総理の最大の悲劇(喜劇?)だ。

 結論。森総理は政治家としてはともかく、首相としての資質に欠けている。

★☆★余談1★☆★
 いっそ漏り総理には、最後までラウンドを続けて欲しかった。そうであっても日本という政府が適切に問題に対処できるんだ、という結果、すなわち総理が不在でも緊急時の初動体制が磐石であるならば、という条件付でだが。

★☆★余談2★☆★
 先日の新大久保駅の転落事故も、「事故」のはずだが、何故に総理の対応はあんなに『暖かかった』んだろう。そして、同じ「事故」である今回は、何故に総理の対応はあんなに『冷たい』んだろう。新大久保の事故は不幸な事故だが、今回の潜水艦衝突は、事故であると同時に外交にかかわる問題だ。もちろん、犠牲になった人に差はないが、国家として対応すべき態度には大きな開きが生じるだろう。漏り総理は、それぞれの対応についてより良い方向の対極に位置しているような気がしてならない。

★☆★余談3★☆★
 しかし、野党の攻撃もどうかねぇ。今回の事故を政治的に利用するその姿勢もどうかと思うナリよ。昨日の党首討論会なんてそのいい典型だね。結局与党も野党も、国民感覚からはかけ離れたところを走っているのだねぇ。

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2001年2月18日 ハワイ沖潜水艦衝突事故(事件)その2 日米関係の凋落。か?

 しかしまあ、昨年の「加藤の乱」など比較にならないほど泥沼の政局になってますな、国会。15日に書いたことを撤回しようかな。漏り総理は、政治家としての資質にも欠けている。てね。ま、今日は国内政局は置いといて・・・・・・。

 日米関係がここまで冷え込んだのは、少なくとも「日本側の視点」からここまで「反米」意識が強まったのは、戦後日米安保論争以来ではないかしらん。まあみんな勘違いしてるけど、今みんながやっているのは「反米」ではなく「反米軍」であって、結果として軍を管轄する「アメリカ」という国家に不信感を抱いている、っていう話しであってね。「ウダウダ細かいこと言うな!」と言われそうだけど、実はこの「反米」と「反米軍」の間には天地ほどの開きがあるので、しっかり分けて考えた方が良い。というのも、ワシは今回の事件で、アメリカの対応にはそれほど問題を感じていないし、実は米海軍の事後処理に関してもさほど問題視をしていない。ただ、最大の非難の対象にして最悪の悲劇は「えひめ丸と衝突した」まさにその時の米海軍だ。

 そう、今回の問題点は二つ。衝突当時(1)安全確認を怠った。(2)民間人が操舵していた。

 まあ、それぞれについてはマスコミの報道に詳しいし、今更ワシが言うこともないけどね。あるいは個人の情報サイトとしてリメンバー・パールハーバー2001:米原子力攻撃潜水艦グリーンヴィル、宇和島水産高校実習船えひめ丸を沈める というページが、様々な情報へのリンクが一覧できて良いです。なお、そのサイト内にあるアメリカ人の電波な陰謀論は、面白すぎて怒りを忘れます。

 でまあ、事後処理の話し。少なくとも今回の事故について、アメリカも米海軍も「証拠隠滅」の動きがない。「動きが見えたら隠滅じゃねぇよ」という反論はただの陰謀論であり意味を為さない(ワシも陰謀論は好きだけどね:笑)。真摯にかつ速やかに、事故究明のための努力をしている様がうかがえるのは、評価できる。もちろん日米関係に配慮もしているのだろうが。

 確かに事後の対応のなかにも、艦長が行方不明者家族の前で謝罪していないなどの問題はある。しかしワシが艦長だったら、あまりにも申し訳なくてとても顔を出せない。むろん、そう考えればその事例が許されるわけでもないが、「軍人は尊大で謝らない」という観点からのみその件を論じるのは、あまりにも人としての情けに欠けている気はする。

 また、その艦長が事故後に民間人に言った台詞も、軍人らしく潔いものだ。曰く「この先どういう展開になるかわからないが、大げさに話したり脚色したりせず、見たこと、聞いたことだけ、事実だけを話してほしい」Asahi.comより>

 とまあ、普段は反米のワシですらも(笑)そこそこ評価できる今回の事後処理。しかし、これが日米関係に大きな影を落とすことも、また間違いないと思う。

 その原因は、やはり「軍」の犯した事故であることと、「日米の意識の違い」とがある。どんなにアメリカ側が頑張っていたとしても「もっともっと」というのが日本人の感情だろうし、やはり民間人が潜水艦に乗って、しかも操舵していたという事実はなかなか受け入れがたいものだろう。軍が民間人を招待するというのは実は日本でもしばしば行われていて、かくいうワシも昨年海上自衛隊の観艦式なるイベントに参加した。軍がその存在意義と価値を民間人に知らしめる為、また民間人の側も軍の行動を知ることでチェック機能が働く、本当の意味でのいわゆる「シビリアンコントロール」が出来るという点でも、これらのイベントは意味のあることだと思う。しかし今回は、それがマイナス方向へ働いているばかりか、民間人の参加、あるいは操舵が事故原因ではないかという指摘もされている(下記記事参照)。日本側、被害者側としてはたまらないだろう。

■「民間人いなければ緊急浮上せず」原潜衝突で米TV報道海軍が予備報告書

【ホノルル16日=杉本宏】米ハワイ・オアフ島沖の米原子力潜水艦と愛媛県の漁業実習船えひめ丸の衝突事故で、事故原因を調査している海軍の予備調査報告書によると、原潜に民間人が招待客として乗っていなかったら、緊急浮上はしなかったと推測する内容になっていると、16日、米ABCテレビが報じた。同報告書は同日にも公表される。

 それによると、乗船していた民間人が操艦を誤らせる大きな要因ではないと結論づけている。しかし、衝突事故につながった緊急浮上訓練が、「体験航海」のための行動だったと事実上認める内容で、その安全確認が十分であったかどうかが大きな焦点になっている。

 また同報告では、原潜の乗組員たちは衝突後、いったん生存者の捜索をしたが、海が荒れていたため、一人も見つけることができなかったのかもしれない、としているという。

 報告書は、緊急浮上するに先だって、潜望鏡での視界の確認が十分でなかった可能性も指摘している。

<2月17日朝日新聞朝刊より全文>

 アメリカの常識は日本の常識ではない。この点を注意してアメリカが行動しなければ、今回の件は泥沼の外交問題になるだろう。それは、日米関係重視の政策を打ち出しているブッシュ新政権にとって、望ましい方向ではないはずだ。

 逆に今回の事故がクリントン政権時代でなかったことは不幸中の幸いかもしれない。某国の漏り総理大臣なみに政治感覚、国際感覚に疎いクリントンでは、もっと日本人の国民感情を逆撫でしていたかもしれない。・・・・・・なんかそう考えると、クリントン(前アメリカ大統領)とエリツィン(前ロシア大統領)と漏り(現亡国総理大臣)は、似たもの三兄弟かもしれないなぁ・・・・・・。

 なお「勝手なことをいいやがって。当事者の気持ちを考えろ!」という反論、ではなく言論封殺は全て無視させていただいております。確かに当事者でない私にその哀しみは推し量るべくもありませんが、このように、ひとつの事件をテキストとして議論を交わすことは意義あることと考えるからです。そこんとこ、ヨロシクね。

★☆★余談★☆★
 そういえば宇和島水産高校の掲示板が、2ちゃんねる厨房に荒らされて一旦閉鎖しましたな。復活したけど。朝日新聞でもその件が紹介されて、また2ちゃんの評判が悪くなること必至ですね(笑)。

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2001年2月20日 アマチュア知事は理想家。それでOK!

 長野県の田中康夫知事は20日、記者会見を開き、「長野県においてはコンクリートのダムを造るべきではない」とする「脱ダム宣言」を発表し、県が建設を計画している11のダム事業のうち、本体工事に着工していない8カ所程度のダムの建設を原則中止すると正式に表明した。代わりに、森林整備で自然の保水力を高める新たな治水策を模索する考えを示した。これまでダム建設を重要な選択肢にしてきた国内の治水事業のあり方に一石を投じる一方、今回の決定について、県庁内の部局との調整はなく、今後、議会や流域住民との間で議論となりそうだ。

 田中知事は宣言文の中で、「ダムは看過しえぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。いずれ造り替えねばならず、おびただしい堆砂(たいさ)を数十億円を用いて処理する事態も生じる」などと建設中止の理由を説明した。今後は、通常の河川改修やしゅんせつ、自然の保水力などを組み合わせ、「多角的な治水」を探り、「従来のダム中心の河川行政を転換させたい」と話している。中止の対象となるのは、多目的ダムの下諏訪ダム(下諏訪町)や治水ダムの蓼科ダム(茅野市)など8カ所程度。

 下諏訪ダムでは、住民意見が賛否分かれており、1月下旬、田中知事が現地を視察。本年度分の予算の取り扱いをめぐり、20日までに事業継続か否かの判断が知事に求められていた。

 昨年10月、公共事業の見直しなどを公約に掲げて当選した田中知事は、就任以降、現地視察や住民集会などを経て、すでに本体工事に入っている大仏ダム(松本市)の建設を中止した。さらに浅川ダム(長野市)については一時工事を中断し、今後、検討委員会をつくって建設の是非を話し合うことにしている。(13:28)

Asahi.comより全文>

<参照ページ⇒「脱ダム宣言」(長野県ホームページより)

 その施政と姿勢が賛否激しくかわされる田中長野県知事。長野県好き&(作家としての)田中氏嫌いとしては注目してるんだけど、政治家としての田中氏は、少なくとも理想を実行している点において、評価のできる経過だ。あとは結果。

 んで、今回のダム建設中止について、ある県議が言っていたのが、「これでは長野県の民主主義はどうなるのか?」と言うコメント。これって可笑しいね。民主主義の手続き=選挙によって選出された県知事が、施政をすることは民主主義に乗っ取っている。その施政に県民の反発が強まれば、次の選挙で落選するだけの話しであり、あるいはリコール請求という手段もある。自分たちの考えに合わない施政を「民主主義の危機だ」とがなり、イデオロギーに訴えかけようとする政治手法は、それこそただのアジテーターですね。こんな人が自分を政治のプロと言い、知事をアマチュアと酷評するのはいかがなものかねぇ。

 治水という問題は、源流の自治体だけでなくその川が流れる全自治体で考えるべき問題だ。源流である長野県、今回の田中知事の決定が、流域民にとって「よりよい選択」かどうかはまだわからないが、既成の手段をなぞることしか考えられない旧態依然とした政治に風穴を空けるキッカケとしては充分に評価できる。

 くどいようだけど、あとは結果だ。

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2001年2月23日 マックワールドエキスポ2001東京レポ

基調講演 AppleComputer社CEOスティーブ・ジョブズ
 蒙昧なる愚民諸君、私がAppleComputer社総帥スティーブ・ジョブズだ。
 我々Apple社は、憎き仇敵Microsoft社の資本を受けていると一般には見られているようだがそれは過ちだ。実は、我々の最新の技術を彼らに提供し、その特許料として金銭を受けているにすぎない。
 今や我々の技術の元に降ったWindowsは、完全にAppleの傘下に入ったといえる。それはすなわち、世界のコンピュータシェアの98%を我々が握ったということに他ならない。
 そしてそれらを踏まえ、今日2001年2月22日、ここ幕張で私は宣言する。AppleComputer社は『AppleEmpire (C)』を建国する。日本語表記は『林檎帝国 (C)』だ。
 この、全世界を統べる大コンピュータ帝国の帝都を、青森県に定める。もちろん、私の大好きな林檎の美味しい産地に敬意を表しての決定だ。

↑↑↑ええ、法螺ですけどね↑↑↑
飽きたんできちんと書きます。

 というわけで昨日、明日24日まで幕張メッセで開催されているMacWorldExpo2001東京に行ってきました。10時からの基調講演を急遽AppleComputer社CEOスティーブ・ジョブズが行うことが決まり、徹夜明けにも関わらず聞きに行っちゃいましたよ〜。

(1)基調講演のモヨン

 幕張メッセについた9時15分には、目算で既に1万人以上の人が並んでた。ワシの後ろに並んでいた人が連れの人に言うのが耳に入ってきたけど「iMac以前にはこんなに人来なかったんだよ〜」とのこと。確かにMacintoshユーザーの絶対数って増えているんだろうね。しかし、あちこちで言われているようにシェアは減っている。それってつまり、パソコンの市場そのものが拡大している、ってことですな。裾野が広がるのは良いことです。
 で、同時通訳の機器を受けとって会場に入ると、メッセのイベントホールは人いきれ。見まわした感じで、2万人くらいは入ってたんじゃないかな? 重厚なバイオリンの調べが会場内に響き渡る。遥か前方のステージには、中央にでっかいかじられ林檎。その左右のスクリーンにはさらにでっかいグラファイト林檎。携帯の電波は翻訳機とハウリンゴ。噛み噛みの場内アナウンス。やがて、アディエマスのような曲がかかり(どうやら新しいCFで使われる……のかな?)、スティーブ・ジョブズが入場してきた。。。

(2)絶好調?ジョブズのプレゼン

 シェアが減っているとはいえ、さすがは二大(?)コンピタ王国片割れのCEO。流暢に喋る喋る。あ、もち英語だけどね。まあ、新製品&新技術&新たな企業提携などについてのプレゼンだったんだけど、これがなかなか面白かった
 例えばPowerBookG4のプレゼンでは、比較でSONYのVAIOを取り上げてたんだけど、しきりに言うのが「私はSONYという会社をとても尊敬しています。VAIOは素晴らしい製品だと思います」んで最後には「しかしPowerBookG4は、そんなVAIOよりも素晴らしいマシンなんです」。VAIOとPowerBookG4との仕様比較などもしていたんだけど、「VAIOに比べて3mm薄い」とか、今回よほど自分とこのマシンのチタン製が嬉しいのか(笑)「VAIOのケースはマグネシウム。旧世紀のケースですね」とかね。余談ですが、PowerBookG4のコンセプトは「Power+Sex」セクシーなパワフルさを追求した結果とのことです。
 さらに、PowerMacG4のプレゼンでは、G4プロセッサーのクロックは最高で733MHz、インテルは1.5GHzで、周波数だけを見ればインテルの半分だが、マシンのパフォーマンスはプロセッサーの早さだけで決まるのではない、と「プロセッサー神話」を完全否定。そして、実際に3Dアニメーションのレンダリング(じゃなかったかな?何かの処理)比較を会場で行い、G4はインテルの1.5倍の早さだと言ってた。そして、DVD-RAMまで付いたPowerMacG4トップモデルのコンセプトは

Power to Burn.
CDs,DVDs,and Pentiums.
「CDも焼ける、DVDも焼ける、そして、ペンティアムを焼き尽くす」Oh! イッツアメリカンジョーク!

(3)製品感想その1 MacOS]

 製品の情報については、間違いなくAppleホームページのほうが詳しいので、簡単に私見なんかを。
 OS]、すごいです。何がって、見た目(笑)。もうなんか、あれは安定性がナントカとか言ってる場合じゃないね。かっこいい。この一言に尽きる。
 なんか、もしかしたらかっこよさのためにいろんなものを犠牲にしているのかな、という気がしないでも無いけれど、それでもOK!(か?:笑) とにかく、GUI(グラフィック・ユーザー・インターフェース)の進化に驚かされた。数年前にテレビ東京で「lain」という深夜アニメをやっていたんだけど、それに出てくる「Navi」と呼ばれる近未来OSを思わせるような、「柔らかいつくり」なんである。前々から(特にMacintosh信者の間では)、「Windowsには暖かみが無い、四角四面なOSだ」と言われていて、当然その比較としてMacintoshは暖かみのあるOSと言うことになっているんだが(起動時のロゴでもある「顔」がその象徴)それのさらなる進化を見た感じだ。OS]の最大の特徴の一つが「ドック」と呼ばれる、まあWindowsでいうところのタスクバーの発展形のようなものだが、このドックはやはり目玉だろう。ドックを含めて様々な機能を、ジョブズはしきりに「Very Simple」と言っていたが、あれ、生粋のMacintoshユーザーには使いづらいんじゃ・・・・・・(笑)。あ、でも再生されているQTムービーをドックに入れると、ドックに入ったまま再生されていて見ることが出来るのにはビックリした。
 少し技術的な話しもしておくと、OS9で動いているアプリは、全てOS]でも動くそうです。でも、Classicと呼ばれるその形式では、マシンパフォーマンスを充分に生かすことが出来ないので、『Carbon』『Cocoa』という形式で作られる(?)ソフトを待っててくれ、とのこと。その『Carbon』『Cocoa』のソフトは、夏ごろから出荷されるそうです。ホントか?

(4)製品感想その2 花柄iMac

 いや、これは完全にやられました。もう、驚いたとかそんなレベルじゃありません。趣味悪過ぎです(笑)。
 今回幕張で始めて発表された、iMacの新モデル。CD−RWがついたとかパフォーマンスの向上とかなんてことはどうでもいいです。問題は色! だって旦那、花柄水玉ですぜ! 自身マンマンにジョブズが「これです!」とモニターに新iMacを映した時の会場の失笑は忘れられません(笑)。なんか、アキバのバチもの屋で売ってそうなんだもの・・・・・・。もちろん、あとでコンベンション会場で実物を見たのですが、作りも色合いもきちんとしてはいますよ。でもねぇ。。。花柄と水玉ねぇ。。。いや、意外性抜群だったよ。
 花柄が「PowerFlower」水玉が「BlueDalmatian」というらしいです(笑)。これからiMacを購入しようかと思っている皆さんもそうでない方も、是非是非店頭でそのスバラシイシキサイを確かめてください(笑)。

<プレスリリース:■ CD-RWドライブとiTunesを搭載したiMacを発表

(5)その他感想 トピックス

 いや、別に手を抜いてるわけじゃなくて・・・・・・トピックスだけを簡単に・・・・・・
★nVIDIAとAppleのコラボレートビデオカード「geForce3」発表。3Dアニメーションなど映像の強力なツールのようだけど驚かされたのはリアルタイムレンダリング。あの、1フレーム何時間とかかっていたレンダリングが、リアルタイムで出来あがってしまう!
★PowerMacG4Cubeに新モデル。旧モデル値下げ。いやぁ、もうAppleはCubeを見限ったんだと思っていたけど、一応新モデルでたね。でもきっと見限ってるね。いわゆる「アニバーサリーマック」の仲間入りだね(笑)。

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2001年2月23日 ≪参考資料≫ 朝日×産経 社説対決 教科書編

■歴史教科書――検定の行方を注視する

 「新しい歴史教科書をつくる会」の主導でつくられた2002年度版の中学歴史教科書が、文部科学省の検定に合格する可能性が高まってきた。

 そのことを懸念するのは、中国や韓国から強い反発が出ているからではない。教科書づくりに中心的役割を果たしている「つくる会」のメンバーらのこれまでの主張が、あまりにバランスに欠けていると思うからだ。

 彼らはその著書などで、「戦後の歴史教育は、日本を否定的にとらえるマルクス主義史観と東京裁判史観に支配されてきた。その自虐史観を克服しなくてはならない」と主張してきた。

 1910年の韓国併合は「当時としては、むしろそうならなかったら不思議といわれそうな、世界からは当然と見られた措置であったとさえいえる」と位置づける。

 太平洋戦争のことは大東亜戦争と呼び、「400年間のアングロサクソンによる支配と束縛から東洋民族を解放するための『開戦』を待望する声は高まっていた」など独自の見解を展開している。

 文部科学省に提出され、検定を受けている教科書の内容は公表されていない。検定の過程では多くの修正を求める意見がつけられており、最終的にどういう表現で決着するかも明確ではない。

 だが同省は、どの教科書でも、歴史的な事実関係の誤りなどがない限り合格させる方針という。そうなれば、「つくる会」が主導した教科書には、中心メンバーのこれまでの主張が色濃く反映されるだろう。

 「自虐史観」などと攻撃し、過去の植民地支配や戦争を肯定的にとらえようとする。それは、当時の日本の国民の苦しみや、侵略を受けた人たちを無視した一方的な解釈である。こういう歴史観を教室で教えることが、次代を担う子どもたちのために本当によいことなのだろうか。疑問を禁じえない。

 政治が混迷し、経済も低迷している日本はいま一種の自信喪失状態、閉そく状況に陥っている。過去を美化する歴史観の誘惑にかられやすい空気があるともいえるだろう。

 だが苦しいときこそ、たどってきた道を虚心に振り返るべきだ。自己正当化の過ぎた歴史観は、国内的にも対外的にも無用のあつれきを生むだけだ。まして教育の場に混乱を持ち込んではならない。

 この教科書をめぐっては、学者グループが「神話を歴史的事実のように記述し、非科学的だ」などと批判したのに対し、「つくる会」理事は「試験中に他人の答案用紙をのぞき込むようなまねはやめるべきだ」と反論するなど、論議が起きている。

 こんなことになる要因の一つは、検定作業が密室で行われるためだ。

 教科書検定の意義を一概には否定しない。「教育内容の維持」や「教育の中立性の確保」は確かに必要なことであろう。

 しかし、検定制度やその運用については、まだまだ改善すべき点が多い。とりわけ検定の過程も含めた情報を、できるかぎり公開する努力が必要である。

<2月22日朝日新聞社説>


主張 検定に圧力を加えるのか 【朝日「社説」】

 朝日新聞が二十一日付一面の教科書報道に続いて、二十二日付社説でも検定中の特定教科書を批判した。暗に検定不合格を期待するような内容であり、二十一日付の記事と同様、ルール違反の疑いが強い。

 朝日社説は「検定の行方を注視する」という見出しで、「検定を受けている教科書の内容は公表されていない」としながら、この中学歴史教科書の執筆に加わっている「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらの主張について「あまりにバランスに欠けている」「当時の日本の国民の苦しみや、侵略を受けた人たちを無視した一方的な解釈」などと書いている。

 検定中の白表紙本の内容には触れず、執筆者らの歴史観を批判する書き方をしているが、近く最終合否を決める教科書検定調査審議会の審議に予断を与える危険性があることに変わりはない。検定制度の趣旨を逸脱した論評だと言わざるを得ない。

 朝日社説は「検定作業が密室で行われる」とも批判し、情報公開を求めている。しかし、検定中に白表紙本の内容も含めた情報公開が行われた場合、公正な合否の審議が期待できるだろうか。否である。内外マスコミがさまざまな論評を行い、冷静な判断ができる状況ではなくなるだろう。

 したがって「検定中の情報公開」には賛成できない。ただし、検定が済んだ後は、情報公開が必要だろう。以前は、検定後も白表紙本が公開されなかったが、今は教科書研究センターなどで白表紙本と検定後の見本本を比較し、検定でどこがどう変わったかを調べることができる。適正な情報公開は、むしろ進んでいるといえる。

 また批判対象の教科書について、朝日社説は「検定に合格する可能性が高まってきた」としたうえで、「そのことを懸念するのは、中国や韓国から強い反発が出ているからではない」と弁明している。しかし、二十一日付の「中韓懸念の『つくる会』教科書」「政府『政治介入せず』」「中韓など反発必至」という記事を読む限り、素直には受けとれない。

 中韓両国が懸念している教科書なのに、日本政府が政治介入しないことを批判的に報じた記事であり、両国の反発を期待しているように読める。

 実際、中国は早くも二十二日記者会見の中で、日本政府にこの教科書の検定合格を阻止するよう求めた。

 朝日の教科書報道をきっかけに、冷静な雰囲気は損なわれつつあるかもしれないが、教科書検定の担当者はこうした外部の声に惑わされることなく、粛々と検定作業を進めてほしい。

<2月22日産経新聞主張>


 どちらも自分らのイデオロギーに結びつけるための無理矢理な論理展開ですな。ヘ(´_`)マターリイコウヤ

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2001年2月26日 自由主義史観 その1

 最近政治論系ばかりで堅かった(?)ので、なんかやぁらかいこと書こうかと書き始めてたら、結局堅くなってしまいました(空爆)。てわけで、自由主義史観についてワシの基礎見解をば。よく同時に論じられる「小林よしのり」については今回置いておきます。

 んで、ワシの基礎見解は「一つのテキスト、史科として存在するべき」というものだ。

 ワシはもちろん、きちんとなんらかの場で歴史を学んだ者ではなく、せいぜい興味ある歴史関係の書籍を漁っている程度のものだが、「歴史は常に更新される」という当たり前のことを眼中におかない、史科至上主義の歴史学には常々疑問を感じていた。今のワシらが学んでいる歴史とは確定されたもんじゃなくて、一つの推論の結果だ。まあ、これ自由主義史観の人たちがよく言う台詞に似てるけど(笑)、この立場は支持できる。歴史、ってものは、遥か過去の事例であっても、常に新しい資料によって補足、証明され、変化する。そう思っている。

 そして、一つの推論の結果である以上、様々な歴史へのアプローチはあるべきだと思う。そこで求められるのは、民族とか思想とかを超えた処にあり、ただ情報を取捨選択し、『自分なりの推論の結果』を出すことじゃないだろうか? 歴史学者の役割は、その為の資料を発掘し、情報を公開し、一つの草案となる推論を作ること。もしかしたら歴史を学ぶ人に失礼な言い方かもしれないけど、本音ではそう思う。

 だから、自由主義史観と総称されている視点に全て同調するかはともかく、「歴史」という非常に特殊性を持ったものを眺める時に、それなりに根拠ある資料から導き出される推論の結果ならば、比較検討の素材として有意義だと思っている。自由主義史観、と呼ばれるものは、決してでっち上げをしているわけではない。もしかしたら、結果的に間違った歴史を説いているかもしれないけど、それは既存の歴史学についても同じことだ。

 おそらく自由主義史観の問題点(?)は、彼らが狙っているかどうかはともかく「強烈な印象によって大衆の判断する能力を結果的に奪っている」ということじゃないかな? だいたい彼らの話題になると、妄信的に信じている人と生理的に受けつけない人の二種に分かれる。どちらも、自分なりの情報の分析を放棄している点で同じ穴の狢だと思う。それは、純粋に歴史を論じるには意味がない。ただのイデオロギーの対立である。上の産経と朝日のようにね。

 自由主義史観の歴史が真実の歴史ではないだろう。でも、歴史という「解釈の学問」の一つの形態、テキストとして、意義ある見地だ。だから、ワシはそんな彼らの「研究」を支持する。

★☆★余談★☆★
新しい歴史教科書をつくる会 公式ホームページ
 自由主義史観の人たちが作っている「新しい歴史教科書を作る会」のWEBSITE。いろんな意味で笑えます。イタイところもあります(笑)。

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