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コトノハPublicログ2001年8月

2001年8月2日 多数の意思によって否定される民主主義
2001年8月6日 ヒロシマ
2001年8月14日 <参考資料>社説対決 首相靖国参拝問題
2001年8月15日 今回の靖国問題について言いたいことはこれだけです

2001年8月2日 多数の意思によって否定される民主主義

 参議院議員選挙が終わった。結果は自民党の圧勝。他にも改革や変革を唱える党が議席数を伸ばし、旧態然と『反対!』しか唱えなかった政党は、惨敗といっていいものだった。まぁ、予想通りというか、下馬評通りというか。。。私的には、比較的支持する三政党がいずれも議席数を伸ばしたので、一有権者としては満足いく結果になった。

 この結果自体はさほど意外性のあるものではなかったね。むしろ問題視したいのはこの投票率

 なに?56%強?結局この国の政治意識はその程度のものですか?

 ワシの中で勝手に決めているのだけど、選挙の投票率は50%を超えないければ、その選挙は成立し得ないと思っている。国民の過半数が『投票する』意思表示をしないなら、逆に言えば、国民の過半数が『投票しない』というならば、既に民主主義の原則から言っても、国民は『投票行為』を否定していることになる。

 噛み砕いて言うと、民主主義ってのは多数決のことだよね。その多数決の手段の一つが、選挙。んで、その選挙の投票率が50%を切る、ってことは、投票しない(したくない)、ってのが多数意思になるわけだ。ってことは、その選挙は、過半数の意思によって、否定されたことになる。ってことさね。

 確かにこの理屈は飛躍しすぎてるかも知れないけど、間違ってはいない。はず(弱気)。

 地方自治体の首長や議会選挙だと、投票率50%を切ることは往々にしてある。もう、そんな程度しか参政意識の持てない市民ばかりの自治体では、選挙なんか止めてしまえばいいのに、と本気で思うね。かくいうワシの住む某千葉県のこないだの知事選も、投票率は40%以下。そん時は、「もういいよ、千葉県民から選挙権を剥奪してしまえ」と本気で思ったね。

 でまぁ、今回の参院選は50%を超えたので、一応成立はするんだろうけど、もう、ギリギリのラインだよね。

 ワシは、兼ねてより民主主義がキライで、日本っつー国、てか日本国民に民主主義は根付かんだろ、という論者だが、日本に住んでいる以上、そこに税金を納めている以上、この国と、この国の政治制度である民主主義を憂いている。まぁある意味、自分のキライなものを憂いている時点で滑稽なわけだが、今はホント、日本の民主主義は危機的状況に陥っていると思う。

 まだ地方自治体は目を瞑ろう。もし、国政選挙で投票率が50%を切る日がきたら。。。もうこの国の政治制度を根本から見なおす必要を、すべての国民が考えても良いのではないだろうか? よく言われること、つーか歴史的事実として、日本の民主主義とは、勝ち取ったものではなく与えられたものだ。

 もともと欲しかったワケでもない服を、多少流行りだからといって着ていたらサイズが合わないことに気付かなかった。今の日本の民主主義は、そんな状態なのじゃないだろうか?

 服を着かえるか、サイズを併せて仕立てなおすか。国民は近い将来その選択を迫られるような気がする。。。

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2001年8月6日 ヒロシマ

 今年も8月がやってきた。日本の三大反戦記念日(ワシが勝手にそう読んでるだけだけど)の、ヒロシマ原爆投下日、ナガサキ原爆投下日、そして終戦記念日が続く。特に今年は、小泉総理大臣の公式参拝を巡る靖国問題の動きが活発だが、今日はその三つの日の一日目、ヒロシマ原爆投下日だった。

 原爆投下は、広島、長崎とあったけど、ワシは、お袋が街から山一つ隔てたところに住んでいて、その瞬間、原爆の光を見たと聞いている広島の方が、思い入れが強い。

 今日は午前様で帰宅したのだけど、帰ってテレビを付けたら、ちょうど記念式典が始まるところだった。8時15分の黙祷の時は、広島原爆について調べたことのあるいろいろなことを思い出し、厳粛な気分になった。

 そういえば、広島平和記念公園に一つの思い出がある。広島に旅した時、晩飯にお好み焼きを食べて酒を呑み、良い気分で一人平和記念公園を散歩していたら、ほとんど人気のなかった公園の一角から、ギターの音色が。。。近づいてみると、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」。別に戦争やら核やらとはなんの関係もない曲なんだけど、命の尊さを歌った曲だ。何より、メロディが美しい曲で、平和記念公園と云う土地柄も手伝ってか、なんとも云えずに感動したのを覚えている。その側では「あやまちは繰り返しませぬから」と書かれた石碑が、月夜に反射していた。

 今更、核廃絶、戦争反対なんて使い古され過ぎているけど、やはり現実として存在している以上、言い続けるべきことだ。(ワシは戦争は反対だが、自衛隊はきちんと軍にすべきだと思っている。この立場は、決して矛盾はしていないのはわかってもらえるよね?)

 今一度確認したいことは、日本は世界中で唯一の被爆国だ、ということ。原爆の犠牲は、残念なことにこの国で起こってしまった。だが、特に核廃絶に向けて、世界にイニシアティブを取れる強い立場でもある。原爆の犠牲になった人の望むことはわからないけれども、彼らの犠牲を鎮めるためには、積極的な核廃絶への世界への働きかけを、この国は続けるべきだ。

 小泉内閣の外交は、内政のインパクトに比べると印象が薄い。京都議定書やら中韓とのイデオロギー問題(あれは外交問題ではない、とワシは思っている)やらはあったが、国連やら、「恒久平和」に繋がる働きかけはまだ無い。この点についても、世界の「構造改革」に繋がるような(大味だけどね)積極的な姿勢を期待したくなった、56年目の原爆の日だった。

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2001年8月14日 <参考資料>社説対決 教科書採択

[靖国問題]「前倒し参拝は適切な政治判断だ」

 小泉首相は、終戦記念日の八月十五日に先立ち、靖国神社を参拝した。

 十五日に必ず参拝すると言明してきた首相が、十三日に前倒しして参拝した点については、さまざまな論議があろう。

 しかし、中韓両国の反発や欧米の批判的な空気など、現下の厳しい国際情勢において、首相の言う「幅広い国益」を総合的に考えるならば、賢明な政治判断だったと言える。

 十五日参拝を強行した場合、とくに中国の駐日大使の召還や閣僚級の交流の中止なども想定され、日中関係が決定的に悪化することも考えられた。

 経済・貿易関係でも中韓両国との関係の停滞が予想され、低迷する日本経済への悪影響が懸念された。

 中韓両国との関係悪化は、アジア太平洋地域は無論、日本自身の平和と安定を維持する上でも大きなマイナスだ。

 中韓両国は、一貫して十五日の靖国参拝の中止を求めてきた。

 一国の指導者が戦没者を追悼するためにいつ参拝するか、参拝方法はどうするかといった問題は、本来、その国の伝統や慣習に基づく国内問題である。他国からとやかく言われる筋合いはない。

 中国側は非公式に十六日以降の参拝を求めてきたとされる。それに沿った参拝では、中国の圧力に屈したという印象を与えることになる。

 そうした点も踏まえ、総合的に判断すれば、十三日参拝という首相の判断は適切な選択だった。

 靖国参拝をめぐって、毎年のように中韓両国との関係がぎくしゃくし、国内でも各界各層での不協和音が繰り返されるのは不幸なことだ。こうした状況から早急に脱却する必要がある。

 首相は、早い機会に中韓両国の首脳と意見交換し、靖国参拝について理解を得る意向を表明している。その際、過去の深い反省に立って中長期的観点からの関係構築を強く訴えるべきだ。

 国のために命をささげた人たちを、一国の指導者が追悼するのは、どの国も行っている当たり前の行為だ。

 首相は、内外の人々がわだかまりなく追悼できる施設の検討に前向きな姿勢を示している。

 政治問題化し混迷が深まる靖国問題を打破するためには、外国の元首も参拝できる、宗教色のない国立の追悼施設を設けることも検討に値する。

 福田官房長官は近く私的懇談会を設け具体的な議論に入る意向だ。二十一世紀にふさわしい追悼の在り方について知恵を絞るべきだ。

読売新聞8月14日付社説>


【13日の靖国参拝】主張 苦渋の決断だが信を失う

 小泉純一郎首相は十三日に靖国神社を参拝した。終戦記念日の十五日に参拝するとしていた首相だが、内外の反発を受けて事前実施の政治判断に踏みきったもので、きわめて遺憾であるといわなくてはならない。

 首相は自民党総裁選以来、十五日の靖国参拝について、いかなる反対があろうとも実行すると重ねて表明してきた。われわれは昭和六十年に中曽根康弘首相が行って以来、十六年間にわたって中断されていた十五日の首相参拝が実現すれば、ようやく当然の姿に戻るものとして高く評価してきた。

 その発言を撤回する結果になったことに対し、首相は「慚愧(ざんき)の念にたえない」としている。だが、首相の発言は格別の重みをもつものであって、国民の信頼を損なうといわざるを得ない。

 首相はこれまで、「戦没者に対して、心を込めて敬意と感謝の誠をささげたい」と参拝への不退転の決意を示し、問題とされたA級戦犯の合祀(ごうし)についても「死刑という刑罰を受けている。死者を選別しないといけないのか」などと述べてきた。いずれも多くの日本人に共通する心情であり、国民のほとんどは、その発言通り十五日に参拝するだろうと思っていたのではないか。

 首相の靖国参拝の意向に対し、中国や韓国は激しく反発し、与党三党内にも中止を求める声が強まった。このため「熟慮を重ねる」としてきた首相だが、ぎりぎりの段階での苦渋の決断であったことは認めるとしても、十五日を回避した参拝のもたらす悪影響は見逃せないものがある。

 首相は「改革断行」を掲げているが、その決意を国民はどこまで信じていくことができるのだろうか。近隣諸国の圧力によって前言をひるがえすようでは、足元をみられてしまったといえないか。国民は、強い意志をもった政治指導者の出現に期待を抱いていたのであり、失望感が急速に広まるのは間違いあるまい。

 「靖国問題」を外交カードとして使ってきた中国、韓国などは、さらに声高に要求を強めるに違いない。来年以降、終戦の日に合わせて靖国参拝が実現できるか、国民は厳しく注視するだろう。

産経新聞8月14日付社説>


靖国参拝 大変なのはこれからだ

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は、日をずらすという苦悩の跡はうかがえるが、内外の批判を納得させる行動ではない。談話も情念に流され、日本の首相の説明としては不十分である。国益を総合的に考えたというが、参拝賛成者とも、反対者とも、首相自身とも一致しない妥協策が、国益にかなうはずがない。
 今回の出発点は、4月の自民党総裁選で、巨大な組織票を持つ遺族会などに、首相になった際の参拝を約束したことにある。小泉氏は特攻隊に散った青年に今も涙し、日ごろから靖国神社に参拝してきた。私的心情の延長線上で言い続け、実行に踏み切った参拝が、一国を代表する首相としては国際的に通用しないことを、理解していなかった。

 参拝に向けては、政策の透明性や説明責任を欠いており、小泉政権の姿勢に逆行する。

 首相自ら「参拝してから考える」と認めたように、周到な環境整備と内外に理解を求める努力は皆無に等しい。参拝を言い始めた理由は「戦没者に心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい」というものだった。A級戦犯が合祀(ごうし)され、戦前の軍国主義の精神的支柱だった神社への参拝が、どのような政治的意味をもたらすか、納得いく説明はついに聞かれなかった。

 参拝に先立って出された談話も不十分だ。中韓が強く批判したA級戦犯には全く触れていない。先の戦争に対する責任を明確にした95年の「村山富市首相談話」を引いて、「誤った国策にもとづく植民地支配と侵略」と「戦争犠牲者の方々すべてに、深い反省と哀悼の意をささげたい」と述べた。しかし、この日参拝した靖国神社に祭られているのは日本側で「戦陣に散った」人々であり、村山談話の精神に背きかねない。

 戦略性もない。中曽根康弘首相は85年8月15日の公式参拝にあたり、1年以上かけて私的懇談会で戦没者追悼の在り方、公式参拝の意味、憲法との適合性、参拝方式を検討した。その中曽根首相ですら、1年後は「わが国だけの考えが通用すると思ったら間違い」と弁明、取りやめた。橋本龍太郎首相は終戦記念日を外したが、参拝を1回で中止した。こうした歴代首相の轍(てつ)を踏みたくないなら、従来にまさる理屈付けや周辺国の理解が必要なはずで、先人の教訓を生かしていない。私的懇談会を事後的に作って検討するのは本末転倒だが、検討する以上、内外に理解される議論が求められる。

 終戦記念日を避けたことに、近隣諸国の反発を和らげる期待も込められているが、この程度でどこまで理解されるか疑問だ。

 参拝した事情の一つに、繰り返し示した参拝の意思に、首相自身が縛られた点がある。首相としての言動への信頼、重みは重要だ。しかし、これほどの反対を予期していたわけではなく、終戦記念日に参拝できなかったことで、信念にも疑問を持たれただろう。国益を重んじるなら、近隣諸国と友好関係をどう構築するのか、首相に課せられた重い責任である。

毎日新聞8月14日付社説>


妥協の末の靖国神社「13日参拝」

 「終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝する」と主張してきた小泉純一郎首相に、私たちは「再考」を求めてきた。賛成、反対双方の意見を聞き、文字通り「熟慮」を重ねてきた首相は、終戦記念日を避け、「13日参拝」を決断、実行した。内外の厳しい批判をいくらか和らげ、かつ、言ったことは実行するという政治姿勢を維持するための足して2で割る妥協策である。
 その意味で賛成、反対双方に不満は残るだろう。靖国参拝に強く反対してきた中国や韓国がどう反応するのかもまだわからない。しかしながら、終戦記念日に参拝を行う場合に比べれば、国内外ともに混乱の度合いははるかに小さなものとなるだろう。首相は献花料として私費で3万円を出し、靖国神社本殿では「二礼二拍手」の神道方式ではなく「一礼」にとどめた。

 「公式参拝」か否かは明言していないが、記帳で「内閣総理大臣小泉純一郎」と書き、また日ごろ、首相は24時間公人と強調していることを考え合わせると、やはり公式参拝と判断すべきだろう。参拝実行にあたって、反対論に配慮したことは、参拝直前に発表した首相談話からもくみ取れる。

 談話では「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と戦後50年に際し出された「村山談話」を引用。靖国参拝は平和への誓いのためであると説明した。

 しかしながら「私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的な考え方に疑念を抱かせかねない」として、参拝を前倒しした理由を述べている。一方で首相として国益を踏まえて諸問題の解決に当たらなければならない立場であるとも述べている。

 それならば、なぜ、と思う。外交の最高責任者として、靖国問題をこれほど大きな政治問題にしてしまうことは首相として避けるべきだったのではないか。一度言い出したことに固執するあまり、外交上、大きく国益を損なう結果になるとすれば、その罪はあまりにも重い。

 この結果により円滑な外交が行えなくならないよう祈るばかりである。政府は一刻も早く談話に盛られた首相の真意を海外、特にアジア近隣諸国に説明し理解を得る努力をしなければならない。

日本経済新聞8月14日付社説>


首相靖国参拝――これが熟慮の結果か

 熟慮とは、「よくよく考えること。十分に思いめぐらすこと」と広辞苑にある。

 小泉純一郎首相のいう熟慮を重ねた末の決断がこれだったのか。

 首相が13日、靖国神社に参拝した。

 意欲を示し続けていた終戦記念日の15日の参拝は見合わせる。この日の参拝に特に強く反対していた中国や韓国などとの関係が致命的に悪化することは避けたい、という判断がぎりぎりで働いたのだろう。

 一方で、靖国参拝を明言してきた自身の面目にこだわり、自民党内などの参拝推進派の意をくんで参拝に踏み切った。

 これを熟慮の結果だとして評価するわけにはいかない。

 首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある。

 同神社は戦前、戦中は天皇に命をささげた軍人や軍属らを「神」としてまつることで戦意高揚の役割を担う、国家神道の中核的存在だった。戦後は一宗教法人となったが、78年からは東条英機元首相ら東京裁判のA級戦犯が合祀(ごうし)されている。

 かつて軍国日本による侵略や植民地化で散々な目にあい、いまなおその傷が癒(い)えない近隣諸国の人たちにとって、日本の政治指導者による靖国参拝は、悪夢をよみがえらせるようなものだ。

 終戦記念日の参拝こそ見合わせたといっても、こうした問題への慎重な配慮はなおざりにされた、というほかない。

 参拝に先だつ首相談話では、「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」ことへの悔恨と反省が語られている。

 心底そう思うのなら、近隣諸国の不信を招く参拝そのものをやめるべきだった。

 「祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊(みたま)の前で」平和を祈るための参拝だと、首相談話は言う。あまりに内向きの姿勢である。

 あの戦争では、「死んだら靖国神社で会おう」と言い残して出征し、特攻に出撃した人たちがいた一方で、靖国神社を「侵略を美化した軍国日本の精神的支柱」とみなす内外の人びとも大勢いる。

 そうした施設が「不戦の誓いを新たにする」場としてふさわしいと、首相は真実、考えたのか。参拝する自分の「気持ち」を力説する一方で、隣人たちの「気持ち」を思いやる優しさが欠けていた。

 「戦争責任はだれにあると思うか」と先月の記者会見で尋ねられた首相は、質問に正面から答えなかった。「口」では過去の行為を謝りながら、なぜ責任には触れられないのか。首相の靖国参拝は、この国の政治指導者の、歴史認識をめぐる二重基準を印象づけもした。

 それでこの国が信用されると言えるだろうか。首相が答えなければならない問いは、まことに重い。

朝日新聞8月14日付社説>


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2001年8月15日 今回の靖国問題について言いたいことはこれだけです

1.マスゴミは、自分たちで煽って政治問題化させておきながら、したり顔で批判するその自作自演を止めなさい。

2.マスゴミ、中国、韓国、靖国参拝反対派、そして賛成派。みんな後ろ向き過ぎ。果てしなく後ろ向き。いいかげん、未来に向けた建設的な議論を始めなさい。

3.2項の目的を実現させるためにも、靖国参拝に対する首相談話を素直に汲み取り、(特に中国、韓国は)公正に報道し、首相の妥協がネガティブではなくポジティブであることを思い知りなさい。

そんだけ。

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