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コトノハDailyログ2004年2月

2004-2-2 (Mon)Version 
冷静と情熱の相田(みつを)

【ニュースサイト(続き)】
 結局月をまたいでしまいましたが。

 前回紹介した通り、カイコウの2004年1月23日付更新「ニュースサイト懐疑論」がワシの目を引きました。管理人のmof担氏は、ニュースサイト界の現状を次のように分析します。

現状といえば、俺ニュースの劣化コピーサイトが雨後の筍の如く、爆発的に出てきたのがこれを書いたそのすぐ後だった。しかしながら、過去その手のサイトが自然淘汰されたのと同じように、数カ月で軒並み更新が止まり、消えていった。
その結果出てきたのは、俺ニュースの表面だけをなぞった、最悪にも限りが有ろうと思えるようなサイトの数々だった。

≪中略≫
孫ニュースで有ることで自己主張していたという、ある種個性だった筈のスタイルが、単純に大量生産の手段として用いられた結果、愚にも付かない二束三文のニュースを大手サイトから掻き集め、それを単純に放り投げているという現状がある訳だ。

 そしてその結果を次のように概括します。(「俺ニュース」というサイトについての説明は省きます。引用元参照)

殆ど何も考えず、取りあえず模倣するというサイトが近年、多すぎる気がする。ただ、仕方のない一面もあるのだ。どう言うことかと言えば、それは、閲覧者がそのような形式を好む、という事が段々判ってくる事である。
≪中略≫
そして、閲覧者が好むニュースサイトのあり方が、先程書き記したように、言ってしまえば薄っぺらい、ジャーナリスト性が皆無なスタイルになってしまうのである。
仮に、ジャーナリストの端くれと考えながら書けば、記事に責任が出てくるだろうし、何かしら訴えたい事はあって然るべきだと思う。逆に、その要素が皆無で、単純に濾過器以外の何物でもないのが、今のニュースサイトと言えるだろう。


 これは、ワシが常々言っている「情報の取捨選択」という概念を、ニュースサイトという鏡に映した時に起こり得る問題点、もっと言えば(個人)サイトに拠る情報収集の危うさを、明確に指摘しています。

 そもそもニュースサイトとは何か、という議論は、極めて主観的な概念で構成されるので省きますが、最大公約数として存在するのは、「世の中で起こっている事件をなんらかの形で情報収集者に届けているサイト」ということになるかと思います。もちろん、大手新聞社などが運営しているのもニュースサイトですし、mof担氏の批判の中心である「一行ニュースサイト」「羅列ニュースサイト(記事のリンクのみを羅列しているサイト)」もそうですし、ウチも、ニュースに対し私見を付与するタイプのスタイルで、一応ニュースサイトの端くれのつもりでいます。

 ワシは常々批判しているとはいえ、大手マスゴミや企業の情報サイトはやはりそれなりに利用します。彼らは、社会との契約上、より信頼し得る情報を発信していて、かつその収集の幅は広範囲に及びます。対して「一行ニュースサイト」「羅列ニュースサイト」の悪質なところは、その記事の見出しを見ただけで、世の中の出来事を『理解したつもり』になることだと思います。同じことは、実は大多数のWEB閲覧者の間で起こっているのですが、これは例えば、Yahoo!トップページのニュースのトピックス見出しだけを追って、その日世の中で起こった出来事を『理解した気になっている』のに似ています。これが結果的に、閲覧者の『記事を読み込む努力』を妨げているという点で、ワシも批判的です。特に個人サイトは、マスゴミや企業のサイトに比べて、取り上げられる記事が運営者の主観に大きく左右されます。そこに、ジャーナリズム的な・・・・・・とまでは言わなくても、少なくともその運営者が「何故その記事を取り上げたか」が明確にされていなければ、閲覧者は運営者の主観を「ニュートラル」と勘違いする危険性があります。mof担氏はこの流れを「濾過器以外の何物でもない」と書いていますが、ワシには濾過器ですらないように思います。仮に濾過器だとしても、そこで濾過されるのは『不要な情報』ではなく『(運営者の)興味のなかった情報』です(mof担氏の文脈からもそのように感じますが)。

 ですが、その責を運営者に帰するのは、実はお門違いです。劣化コピーだろうが孫ニュースだろうが、情報の取捨選択は閲覧者によって行われるべきだからです。

 いわゆる「メディアリテラシー」と言われるもの、それは閲覧者(情報収集者)が持つべき技術です。現在その教育は、教育機関でもメディア自体でも行われておらず、むしろそれらが阻害している風すらありますが、結局、閲覧者(情報収集者)の『自覚』に任せるしかないのが実情です。そして昨今の(個人)ニュースサイトの潮流が、その阻害を助長している面は事実だと思います(先述した『記事を読み込む努力』を妨げているというのがその一因です)。結局のところこれについては、情報の発信者と受信者が双方に高めあえる情報のやり取りの形、というのを模索していくしかないのでしょう。

 かつて、「侍魂」というサイトや、「ちゆ12歳」というサイトが一斉を風靡した時、その「劣化コピー」と言われるサイトが数多く誕生しました。しかしそれらは、運営者が見放したか、閲覧者に見放されたか、次々と淘汰されそして幾つかのサイトが残りました。同じことは恐らく「ニュースサイト」と言われる界隈でも起こるでしょうし、既に起こっているかもしれません。その淘汰の末に、よりよいWEB上での情報交換、というものが存在するのか、それとも閲覧者は成長しないままなのか、ある意味で楽しみなところではあります。

 mof担氏のされている主張と、ワシのここでの主張は、まるで別のプロセスですが、閲覧者(それは自分も含めて)のレベルをあげるべき、という点で共通します。WEBというメディア、それは個人が容易に発信することの出来る極めて特殊なメディアです。そこでのメディアリテラシーを高めることは、この情報の海の中に溺れないための必須事項ではないかと考えます。

2004-2-5 (Mon)Version 
風邪の諸症状に蝕まれ中♪(可愛く)

【ニュースサイト(さらに続き)】
 読み返してみると、なかなかに支離滅裂な部分があって恐縮です、前回の更新。まぁ、それは置いといて(えっ!?)

 チャンバラクロック(2004年2月2日/3日付更新)で、前回の記事に対する検証を頂戴しました。ありがたいことです。その上で、反駁などを。

そもそも世の中で起きている出来事を記述しきれる訳がない、という意味で考えると、大手マスコミや企業発の情報(というか誰が発した情報であろうと)をどんなに読み込もうが結局は「理解したつもり」から抜け出せないわけです。 ≪中略≫ 選別したのが個人サイトなのか大手マスコミなのか、の違いがあるだけで。 ≪中略≫ 個人だろうがマスコミ企業だろうが取り上げる情報ってのは運営者の主観に大きく左右されるものだと私は思っています。

 製作人フクダ氏の主張を勝手に概括しますと、「大手マスゴミだろうが個人サイトだろうが、情報の取捨選択の主観性と、その成果(「理解したつもり」になる)の点で、差異は無い」ということかと思います。言い変えれば、「大手マスゴミの情報も主観で選別されているし、結局理解したつもりにしかなれない(そしてそれは、別に悪い事ではなく、やむないこと)」ということかと。

 まず、その部分について言うと、ワシも全くの同意です。ワシが事あるごとにこのサイトで「いわゆる大手マスゴミ(メディア)を信頼するな」と警鐘を鳴らしているのがこの事なワケです。じゃあ、フクダ氏との差がなにかというと、恐らくこれは、情報の真偽の前提となる「信頼」を、どこまで許容するかの差異だと思います。あるいは、全体像をまとめあげることが可能な大手マスゴミの能力を、どこまで評価できるか、の差異かもしれません。

 ワシは、「大手マスゴミは、個人サイトの運営者に比べて、社会との契約上、より信頼し得る情報を発信している」という前提に立っており、これが崩れてしまうとニュースそのものを取り上げることが出来なくなってしまいます。その上で、「大手マスゴミの言っていることだろうと、おかしい部分はツッコム」というのが、このサイトのスタンスの一つでもあるわけです。まぁ、スタンスの話しは置いといても、大手マスゴミは、取捨選択の部分で、個人(ニュース)サイトよりはるかに広範囲の情報を発信しており、その発信者(発信社)の主観によりスポイルされていたとしても、個人サイトよりは客観的な検証をできるだけの情報が集まっているのは間違い無いと思います。裏返せば、個人サイトは、大手マスゴミより、集められる情報数にも限界があるし、まとめる能力についてもいわずもがな。発信する人間の能力ではなく、全体の処理能力の差で、大手マスゴミは、より「信頼」し得ると、そういうことです。

 個人ニュースサイトの弊害とは、どうしても情報収集力の限界値が低い(処理能力の点からも、主観の点からも)のに、そこだけを見て閲覧者が「理解したつもり」になってしまう。さらにいうと、見出しだけを見て閲覧者が「理解したつもり」になってしまう(これに関してはフクダ氏も書かれているとおり、「新聞社サイトのトップページだけ観て世の中で起きたことに対して「理解したつもり」になるのも同じこと」)。要は、そのライトで取っ付きやすいスタンスが、『記事を読み込む努力』を妨げる温床になってしまう、それを恐れているわけです。

 ただ、これはどこまでいっても全体像に対する『比較的』の話しでしかないワケで、結局個人ニュースサイトが大手マスゴミから記事を引用している以上、個々の記事に関する信頼性は、全く別個の問題になると、ワシはそう考えます。

 さて、もう一点。ワシの前回記事の『少なくともその運営者が「何故その記事を取り上げたか」が明確にされていなければ、閲覧者は運営者の主観を「ニュートラル」と勘違いする危険性があります。』を引用の上、次のように書いておられます。

 そうなのかなあ、閲覧者ってそんなにレベル低いのかなあ。まあ、事実低いのかもしれないですが。「ニュートラル」の存在を無邪気に信じてる人なんて今時いるの?ああ、いるんだろうなあ。私は、発信される情報ってのは発信元が個人であろうと団体であろうと主観的であり偏向しているものだと思っています。「ニュートラル」なんて存在しないよ、ってことです。

 これは、ワシの経験則でしか無いのですが、閲覧者のレベルは低い・・・・・・という言い方は良くないので言葉をすり替えると、与えられる情報に対して「無垢」です。新聞社による主義の違いすら知らないまま、「マスゴミの発する情報は正しい」と信じている。ワシは、この辺をきちっと理解することが「メディアリテラシー」の一つだと思っており、それは閲覧者の持つべき能力と主張していますが、同時に、それを教えることなく放置する教育機関やメディアに対し批判的です。メディアが「第四の権力」として、三権に並ぶ権力と言われ始めて久しいですが、学校では基本的に、未だに三権しか教えていない。「ニュートラル」が存在しないことを前提に出来る教育をきちんとすることは、日本の教育界にとって急務だと、ワシは思っています。

 ・・・・・・長くなりましたので、本日予定していた、フクダ氏のリンクしていた日記ちょう 2004年2月3日付更新の「メディアリテラシー」についての文章への私見は、次回以降(次回、と言いきらないところが卑怯)に。


【プロモーション】
セガ、PS2「ぷよぷよフィーバー」発売記念企画 「ぷよぷよ隊」が突如渋谷に登場!(ネタ元:TECHSIDE

 お。面白いプロモーションですね。仕事柄興味を惹かれるところではあります・・・・・・が!

 これって、マトリックスオフじゃん!

2004-2-6 (Fri)Version 
ハリー・ポッターとオロナミンC →参考

【ニュースサイト4(ていうか「メディアリテラシー」について)】
 なんか、シリーズ化っぽくなっていますね。しかも、当初の主旨とは違う部分でw。

 昨日の更新で意見を出させていただいたチャンバラクロックさんで紹介されてた、日記ちょう 2004年2月3日付更新の「メディアリテラシー」についての文章への私見をば、お約束通りに。

≪引用始≫ネットのひとが大好きなことばに「メディアリテラシー」ってのがありますが、マスメディアに対するメディアリテラシーを語るメディアに対するメディアリテラシーを語るメディアに対するメディアリテラシーくらいはもってこそだ。 ≪中略≫ メディアリテラシーっていうのは、メディアを使いこなす能力のこと。上でいったのは受け手に関することだけであって、各種メディアを使って、いかにうまく言いくるめるかもメディアリテラシーだ。今メディアリテラシーとかいう言葉をサイト上で使った時点ですでに「うさんくさい」とみなされる傾向が生まれつつあるわけで(というか、うさんくさいとおれは思う)、つまりは今メディアリテラシーという言葉をサイト上で使うやつは、送り手としてのメディアリテラシーがないといえる。
 正しいこと(あるいは自分が正しいと思ってること)を書くことがメディアリテラシーだと思ってるバカの多いこと。メディアをうまく使いこなすのが「メディアリテラシー」だよ。
≪引用終。太字は引用者≫

 『メディアリテラシーっていうのは、メディアを使いこなす能力』これは至言ですね。ワシが2月2日の更新で主張した『いわゆる「メディアリテラシー」と言われるもの、それは閲覧者(情報収集者)が持つべき技術』ってのは、まさにそれ故だからです。がしかし、上のテキストに幾重もの皮肉の要素があることを承知の上で、ちょっと引っかかった部分を言及したいのです。

 それは、『メディアリテラシーとかいう言葉をサイト上で使った時点ですでに「うさんくさい」とみなされる傾向が生まれつつある』『メディアリテラシーという言葉をサイト上で使うやつは、送り手としてのメディアリテラシーがないといえる』の部分。ワシの読解力の問題かもしれませんが、ワシの目にこれはただの「言葉遊び」にしか見えませんでした。

 ここで重要なのは、「メディアリテラシー」という単語の指す概念であり、その言葉自体の信憑性ではないというのが、ワシの考えです(ちなみに辞書には「メディアを利用する技術や,伝えられた内容を分析する能力のこと。」(三省堂提供「デイリー 新語辞典」より)と書かれています)。「メディアリテラシー」という単語を使おうが使うまいが、問題は発信者が訴えている中身なワケで。それは例えるなら、どんな器(メディアリテラシーという言葉)に入れようと問題はその中に入れられる酒の味(メディアリテラシーの概念)、ってことです。故に、「メディアリテラシー」という言葉をサイト上で使うことが「うさんくさい」とも「送り手としてのメディアリテラシーがない」とも、ワシには思えません。メディアリテラシーという言葉を使わなければ問題が解決するのかといえば、そんなはずはないワケで。

 さて、ここまでのワシの主張に欠けている視点があります。それは、『送り手のメディアリテラシー』です。が、ワシはここ数日来書いている通り、メディアリテラシーとは情報の受け手(閲覧者)側が持つべき技術と考えていますので、そもそもその視点を必要としません。日記ちょうの記述に反駁する形で書くなら、ちょっとややこしい言い方になりますが、『メディアリテラシーという単語を発したメディア(あるいはサイト)に対する信憑性を判断する能力』、これもメディアリテラシーなわけです。

 と、ここまで来て自分自身の矛盾点を指摘するのもなんなんですが、『重要なのは「メディアリテラシー」という単語の指す概念』と言いきってしまった以上、その概念の解釈は多様に及ぶワケで、結局ここで書いたことは「ワシの概念」でしかないとのツッコミも、甘んじて受けなくてはいけないワケなんですね。それが結果的に、議論のための議論に陥る可能性を秘めているのは、まぁやむを得ないかと開き直りつつ、そこで交わされる議論こそがメディアリテラシーを高める、ってのも、面白いロジックかな、なんて思います。

 ・・・・・・多分、今日だけで一生分の「メディアリテラシー」という単語を使った気がします・・・・・・

2004-2-8 (Sun)Version 
今回は一万人のネオ対スミス一人の闘いだったとは! <ロード・オブ・ザ・リングの嘘感想

【週末】
 昨夜は、「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還〜」の先行オールナイト上映(とついでに、昨日封切の「幸せになるためのイタリア語講座」)を見て、今日は羽根木公園で梅見の予定。久しぶりにリフレッシュな週末・・・・・・になると良いんですけどねー。後日、映画の感想文でも提出するかもしれませんぬ。


【雑談】
DQ、FF モンスター、都市などの語源 インデックスQuarkより)
ファンタジー好きに、こいつは便利&興味深いです。

パロディイラストdecorationsより)
そーとーツボりました。パロディイラストとしては、髭将軍美術館に続くヒットかも。

ガチャピンがチャレンジした種目一覧(ネタ元:sawadaspecial.com
ポンキッキーズ21 30周年記念 ガチャピン チャレンジシリーズ
挑戦し過ぎ。中 の 人 必 死 だ な 。またDVDの衝動買いしそうになるのを心留めますた。でもきっと買う。

2004-2-10 (Tue)Version 
そして昨日になってロード・オブ・ザ・リングの招待券貰った・・・・・・先週くれよー
(↑どの道先行上映じゃ使えませんが。当然もう一回見にいきますが)

【祝日の前は】
 日帰り温泉の情報でも見ながら小さな旅の予定でも立てましょうか(どちらも関東近県です)。

温泉★関東・甲信 日帰り温泉ネット−露天風呂・貸切風呂・立ち寄り湯のレポート
日帰り温泉:快適度ランキング!東京〜関東近県を中心に体験取材

 ・・・・・・ワシは結構「温泉ブーム」に対して懐疑的ですが何か。


【予告編】
報道機関がやっていいこと、いけないこと「朝日新聞は死んだ。」
DQN++ですいません(ryより。ネタ元:dlmaniax

 まずはリンク先を読み込んでいただきたく。ワシの雑感は、次回以降の更新にて。

≪参照≫(どちらもネタ元:カトゆー家断絶
hirokiazuma.com/blog:降りる自由 上記を受けての東浩紀氏のコメント。
裏モノ日記 2004年2月2日付更新参照。東浩紀氏のコメントを受けての唐沢俊一氏のコメント。

2004-2-13 (Fri)Version 
労働・オブ・ザ・リング >宝石商

【雑談】
 軽く多忙のため一昨昨日の朝日新聞関連ネタはもうちょっと後で。

ゴーストライターとは何者か
少しだけ誤解してました。でも、ワシもある意味でゴーストライターしてる時がありますな。

知育研究会
論文代行業。こんな商売が成り立つんだという驚きと、そういえばワシも昔やってたなという回顧。

ドラちゃんの本音
ドラえもんの吐いた毒を集めてます。こうしてみると、藤子不二雄Fのブラックさが伺えます。

ドラえもんで読者が忘れていそうな事実(2ch/ネタ元:カトゆー家断絶
古いというか懐かしいネタが満載。

空はどうして青く、夕焼けはどうして赤いのですか?
冒頭の展開が強引な上、子供っぽい質問にメチャ専門用語バリバリの回答をしていますが、まぁ、確かにあまり説明出来ないことなんで一読かと。

2004-2-14 (Sat)Version 
義理のみとはいえ、貰ったチョコの数が過去最大数でした。リーマン生活の思わぬ副産物。

2004-2-17 (Tue)Version 
今週はぐったりWEEK。

【報道の自由、弱者への不自由】
 先日紹介した『報道機関がやっていいこと、いけないこと「朝日新聞は死んだ。」DQN++ですいません(ry)』への雑感ですが。

 大方の予想を裏切って(?)、今回だけは朝日新聞擁護(というより、朝日新聞を批判する著述者澁川氏への批判)の雑感になります。この、アカ日新聞嫌いのワシが、です。

≪引用始≫朝日新聞が自衛隊のイラク派遣に反対なのは、言論の自由ですし、議論としても、もちろんアリです。しかし、国民に選ばれた国会議員たちが意思決定をして(シビリアン・コントロールの下で)武官である自衛隊員自衛官が派遣されるのですから、それは日本国の意思決定として重く受け止め、可能な限りのサポートをすべきでしょう。それに、総選挙と言う場が直前にあったのですから、そこでイラク派遣に反対する政党が多数党にならなかった時点でイラク派遣に対しての意思決定はなされたと見るのが自然でしょう。民主主義とは討論を尽くすべきではあると思いますが、(この点で討論が尽くされたかは?だけど)少数意見でいつまでもゴネてても話になりません。≪引用終。消去線は原文ママ≫

 これはいくらなんでも無茶苦茶だろう、と。氏自身が本論の最後に『マスコミは第四の権力といわれて〜≪後略≫』といっているように、マスコミは第四の権力であり、故に、他の三権におもねる存在であってはいけないわけです。

 国会議員(立法府)が決めたことであろうが、総選挙を経ていようが、その決定に対する批判はなんら問題が無く、サポートをする必要なんてないんです(もちろん、サポートをすることも自由です)。それが、三権と存立するといわれる「マスコミ」ならば尚更です。

 これを見た自衛隊員やその家族が、「朝日新聞なんて二度と読まない!」と言う自由は、朝日新聞がもつ「報道の自由」との対価である(それだけのリスクを朝日新聞は背負っている)わけです。

 「『自衛隊員やその家族が可哀想だから』こういう報道はイカン!」という構図はイビツです。古くは同和問題から、最近では北朝鮮拉致被害者問題まで、この構図のもと、言論の統制が行われて来ました。それは、マスゴミが率先して行うこともあれば、世論が批判を許さない、ということもありましたが。結局、この構図が歴代の「弱者」を生み出してきたわけです。「自衛隊のどこが弱者だ!」と言われそうですが、マトモな議論を許さない空気がはびこり始めている対象という意味で、立派に「弱者」の仲間入りを果たせそうです。少なくとも、氏の主張である「可能な限りのサポートをすべき」(故にこういう報道はイカン!)というのは、自衛隊を「弱者」の位置に置き、その議論を「不自由」化させます。「少数意見でいつまでもゴネてても話になりません」などとして報道機関を批判する氏の論理展開は、控えめに見ても「全体主義的」と評せざるを得ないかと思います。

 朝日新聞のこの挿絵の方も検証しておくと、この挿絵自体にはなんの問題もありません。ただし、これは国民の総意ではなく朝日新聞の主張である、ということを、我々読者は知っておかなければならないでしょう。それこそ、最近取り上げてきた『メディアリテラシー』の一環なワケです。


【花形記者?】
 ITmediaの新人記者、岡田記者が最近俄かに人気らしいです。
孤独なバレンタイン克服に向けて〜ある女IT戦士の作戦
やっぱりキミは来なかった 「線メリ」と過ごすひとりきりのXmas
 なるほど、エンタテインメント性に富んだ、魅せる記事を書ける方のようですね。てわけで、職務上の立場を利用してエンカウントを画策(←最低)。同じくITmediaの後藤記者には、何度もお世話になっているので、そのあたりからw。

2004-2-19 (Thu)Version 
ここまで毎日1時帰宅(終電)だと疲れる気力もありゃしない。

【雑談】
終点探訪(ネタ元:カトゆー家断絶
鉄道の「終着駅」を巡っては掲載されています。鉄オタ、つーか旅オタ必見。

FUTURECINEMA
映像作品、ってモノの未来を考える展示会とかシンポとか。終了間近!行きたい!

れとろ看板写真館
壁からのメッセージ
こないだ、なんかのネタの裏付け調査をしているときに見つけました。スゲー味があります。

2004-2-22 (Sun)Version 
最近の御仕事。この一ヶ月は製作に勤しんでたけど、この先一ヶ月はその展開に勤しみます・・・・・・。

【日曜日の雑談】
●小ネタ:映画ドラえもん のび太とエヴァンゲリオン(ネタ元:かーずSP
ドラのメカっぷりが激しく恐怖。

 さて、そんな小ネタは置いといて、「日曜はパーソナルでユルイ話をしよう」がコンセプトな日曜日の雑談コーナー(←すっかり忘れてました)です。

 何かと人の影響を受け易いワシは、『逆転裁判3』の製作者巧舟さんのコラム(ちなみに1のコラム2のコラム)で紹介されていた小説を読んでみました。それは江戸川乱歩の『心理試験』。今でこそ使い古されたトリックのようですが、恐らく、小説が書かれた当時としてはなかなかに斬新なものだったんじゃないかな、なんて思います。この作品中(短編ですが)で繰り広げられる頭脳戦、ってのも、ちょっと駆け引きの要素が薄いですが(短編だから?)、面白いものです。

 さて、図書館でそれを借りた時に、たまたまタイトルが目に入って一緒に借りた本が姉小路祐の『逆転法廷』。もともとは1989年に『有罪率99%の壁』というタイトルで上梓されていたものを、2002年に改題して文庫版に納めたとのこと。改題はおそらく「逆転裁判」人気を見てのものと穿ちますがw、作品自体はむしろ「逆転裁判」が参考にしたのではないかと思うような、法廷劇でした。姉小路祐氏の作品を読むのは初めてだったのですが、この作品にも出てくる「朝日岳之助弁護士」は何かで耳にしていました。こちらの作品は、幕引きこそ案外あっさりしたものでしたが、途中の法廷でのやり取りは、ライバル(らしい)女性検事との丁丁発止や、「異議あり」のセリフなど、逆転裁判ファンならなかなかに熱く読めるのではないでしょうか。というか、熱く読めましたw。

 ワシは余り、推理小説や法廷小説を読んだ事が無いのですが、実はここにこそ、ワシの大好きな「頭脳戦」っていう要素がふんだんに盛り込まれているんだな、と今更ながらに感じます。犯罪のトリックを暴く、という「頭脳戦」という意味では無く、人の心の隙間を見つけて真実を暴き出す、という「頭脳戦」、「心理戦」と言い換えても良いかもしれませんが、これは、とても面白いですね。これを機に、まずは江戸川乱歩と姉小路祐などから読んで見ようかな、なんて思います。・・・・・・まぁ、ちょっと自分が書くには勉強不足が過ぎる分野なんですけどね。

2004-2-27 (Sun)Version 
修羅場ッス>仕事が

【判決】
 先日。会社最寄りの都営地下鉄の駅で、電車を降りてゴミを捨てようとしたら、昨日まであった場所にゴミ箱が無い、ということがありました。その時は「???」と思いながら会社に急いだのですが、帰り、柱の張り紙に気付きました。「駅構内の安全のため、2月21日〜29日まで、ゴミ箱を撤去します」。

 そういえば、2月27日(今日)は麻原彰晃(松本千頭夫)被告の一審判決の日でした。

 「地下鉄サリン事件」ですらも、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのかな、と、軽く猛省。

2004-2-29 (Sun)Version 
最近の御仕事:一般参加型謎解き企画やってます。「ククク。813。20時キッカリに訪れよ」を見たらチェキラ(古)

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